DELF B1 受けてきた〜試験当日 前編〜

前回のDELF申込・準備編に引き続き、今回は 試験当日の流れと、それぞれの試験がどんな感じだったかを書いていきたいと思います。

試験開始までの流れ

8月某日、DELF B1 試験 いよいよ当日。

9:30から 集団試験 Épreuves collectives が始まるので、9:00頃に試験会場へ。

建物内に入ると、既に15人くらいの受験者が椅子に座って待っていました。

係の人は いないかなーと探しながら待っていると、ほどなくして お姉さんが。

受験の旨を伝えると、convocationの提示を求められて、そのまま指示があるまで待つように言われました。

しばらくして

試験する部屋へ通され、自分の氏名が書いてある机に着席。

出席名簿にサインをして、試験開始を待ちます。

が、いつまで経っても始まらない!

なぜかって?

遅刻者を待っているからです!

ありえない。。

待たされている人たちは だんだん だらけていきます(笑)

散々 待たされて、30分遅れで試験開始。

試験開始までの流れは、会場に よりけりだと思いますが、時間ぴったりに 始まることは あまりなさそうです。。

Épreuves collectives

試験は次の3つ。

①Compréhension de l’ORAL リスニング

②Compréhension des ÉCRITS 読解

③Production ÉCRITE 作文


①Compréhension de l’ORAL リスニング

まずは リスニングから。制限時間25分、配点は25点満点。

設問は 3つの音源を聞き取り、トータルで20問くらいありました。

第一問 : 男女二人の会話(土曜日の予定、これから行きたいこと、したいことなどの会話)

第二問 : 職業を変えたい人に 短期間の研修を提案して、手助けしている人のルポルタージュ

第三問 : アーティストイベントについてと主催者へのインタビュー

手応えは 微妙。。

問題集よりも トータルの設問が多かったこと、記述式の解答が 予想より多かったことに 少し戸惑いましたが、逆に1問あたりの配点が1点くらいなので、稼げるところは しっかり稼いで、怪しいところは 落としても まぁいいかという気持ちで臨みました。

記述式の部分は、単語の綴りが合っていてナンボなので、間違えると悔しいかも(>_<)

②Compréhension des ÉCRITS 読解

制限時間35分、配点は25点満点とテキストではなっていましたが、

実際は、③の作文とあわせて80分です。

これは 私にとっては 有り難かった。

設問は大きく2つ。

第一問 : バカンスで 泊まる宿を、4つの宿のアノンスを読んで、条件に合う1つを選ぶというもの。

これは 一番簡単で、点を稼げる設問。

テキストみたいに 変なひねりもなかったので、問題なしだと思います。

第二問 : おばあちゃん世代がやるオペア(ホームステイしてステイ先の子供の面倒をみたり、家事をする見返りに滞在先の家族から報酬をもらって生活する制度)について

これは 長文読解。

テキストよりも 設問が多かったですが、その分 配点が分散されて良かったです。

文章内に出てくる単語も、相性の良い文章に当たったからか、分からない単語はなく、内容も理解しやすかったです。

練習問題をやる際には、第一問10分、第二問20分くらいの時間配分でやっていましたが、試験では、10分・30分くらいだったかな? まずまずです。

③Production ÉCRITE 作文

制限時間は、テキストでは45分でしたが、今回は読解とあわせて80分、配点は25点満点。

テーマ : 学業をしながら 働くことは 良いことか否か

作文は 比較的得意なのと、テーマが書きやすい内容だったので、そこまで苦戦せず、下書きなしで 30分くらいで書きました。

が、

あとから 体験談などを読んだら、

文中に 盛り込んだ方が良い 文法などがあったらしい。。

私は 2、3くらいしか 盛り込んでないので、高得点は 無理です(泣)

知っていたら、盛り込むだけの能力はあったのに。。痛恨のミスです…

以上が、集団試験 Épreuves collectives でした。

午後からは、個人面接 Épreuve individuelle です。

長くなりましたので、後編へ続く。。

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投稿者: 青空

パリ在住。 パン職人が本業だが、マルチ・ポテンシャライトとして 現在 奔走中。 2015年に初のフランス1人旅をしてフランスの魅力に取りつかれ、2016年ワーキングホリデービザにて1年滞在。帰国後 再渡仏の為に奮闘、2018年10月に念願の労働ビザを取得しました。