フランス 2回目のロックダウンについて

やはりというか、

予想通りフランスは 10/30 から2回目のロックダウンに入りました。

まだ始まって数日ですが、現在のフランスの現状など、思いつくまま独断と偏見で つらつらと書いていきたいと思います。

お時間ある方 よろしければ お付き合い下さい♪

前回のロックダウンよりは結構緩やか

前回のロックダウンと今回のロックダウンの大きな違いは「仕事に行ける人が多い」ということと、「高校生までは学校に行ける」ことかなと思います。

前回のロックダウンについて↓↓

パリでロックダウンを1ヶ月過ごしてみて 

もちろん、レストラン・カフェ、娯楽品を売る店や文化施設などで働いている方は 店を閉めなければならず、再び しんどい日々を過ごすことになってしまったことは とても残念ですが。。

製造業など、どうしても その場で仕事をしなくてはならない人は、職場に行って仕事をすることが可能です。

以前は閉まっていた、生活雑貨の お店や家電量販店などは開いているので (聞くところによると、Fnac は テレワークで家電は必要不可欠と、店を閉めるのを拒否したらしい笑)、前回ほどの不便は生じないのかな、と思います。

追記: お店を開けている個人商店などがありましたが、政府から「生活必需品 以外の商品は販売禁止」と再度 お達しが出たそうです。それでも店を開けようとするところもあったりと、まだ ごたごたしているようです。

もちろん行政サービスも引き続き行われます。というか、いまだに行政は ちゃんと動いてないので、頑張ってもらわないと困るのですが( ̄ー ̄)

その他の決まりは前回と同じで、通勤・買い物・運動・通院・行政手続きなど のみ外出が可能。違反したら罰金。

運動も自宅から半径1km以内・1時間以内で自由ですし、前回と違って 今のところ(今のところです笑)公園も閉鎖していないので、まぁ悪くないかと。

なので昼間は そこそこ街には人がいます。前回ほど「ゴーストタウン」にはなってないです。

ただ、これって「働きに出ている人」と「働いてないで勝手に ふらふらしている人」の見分けなんてつけられないんじゃない?とも思ったり。

日中は あまりロックダウン前の状況と変わらない雰囲気なので、「これじゃ何の意味もない!」と同僚が憤っていましたが、私的には全く無駄ではないと思います。

人が集まるカフェやレストランを封じるだけでも、それなりに効果はあると思います。

法的措置をとらないと、すぐに集まる国民性なので…

日中は なんとなく社会が回っているような感じですが、夕方のラッシュを過ぎるとびっくりするくらい静か。

19:00過ぎに仕事を終えて帰宅した時には、通常の1/3以下くらいの人出だったので(当たり前か。。)、

「これは夜道は だいぶ用心しなくては!」と感じました。

個人的な感想。。

今回の状況の個人的な感想は、「そりぁ、ロックダウンになりますわな。。」の一言に尽きます。

「政府が悪い」とか文句を言う方々も多いですが、この状況を作り出したのは誰なの?と。

こちらで生活していると、今回のウィルスは 欧米の生活習慣にとって かなり不利なのが分かるので (集まるの大好き、カフェ文化、スキンシップ、衛生観念など) 多少同情もしますが、もうちょっと我慢できないのか。

好き勝手やってきた結果を認めて受け入れるべきだ、

と、最初は憤っておりましたが、

今は「うーん、この国は変われないのかな」と今では半分諦めています。

それでも この国は美しい部分もあって好きなので、今は とても複雑な心境です。。

自分の生活はあまり変わらない。

前回のロックダウンと同様、私個人の生活は あまり変わりません(笑)

仕事は通常通り出勤してますし、普段から節約のために自炊派なので日本にいる時から外食も滅多にしません。

行動も単独行動が多いので、大勢でつるむことも少ないし。(プライベートくらい 1人 or 少人数で自由にやりたい笑)

確かに美術館とかが開いてなかったり、行動範囲が狭まるのは残念ですが、家にいるのも好きなので「おうちで出来ること」「やりたかった」ことを この期間にガンガンやっていくつもりです♪

「与えられた環境でいかに楽しむか」、この技術を身に着けたもん勝ちだと思っていますが、まだまだそれが難しい人も多く。。

これを「修行」として フランス人に頑張ってもらいたい今日この頃です(笑)

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投稿者: 青空

パリ在住。 パン職人が本業だが、マルチ・ポテンシャライトとして 現在 奔走中。 2015年に初のフランス1人旅をしてフランスの魅力に取りつかれ、2016年ワーキングホリデービザにて1年滞在。帰国後 再渡仏の為に奮闘、2018年10月に念願の労働ビザを取得しました。